モデルコース

森岡地区 村木砦の戦いの地を訪ねるコース 約2.0km

JR武豊線 森岡駅 出発

1村木常夜灯跡(むらきじょうやとうあと)

2開眼寺(かいげんじ)

秀岳栄公(1596年没)を開山として創建される。古くは慈眼庵と称したが、宝暦5年(1755年)開眼寺と改称する。曹洞宗、本尊は如意輪観世音菩薩。境内にある稲荷堂と地蔵堂がある。

3八剱社(やつるぎしゃ)

村木砦の戦の死者の霊を祀るために元亀2年(1571年)村木砦跡に建立した。境内に森岡貝塚がある。祭神は倭建命。

4村木砦跡(むらきとりであと)

町指定。史跡

天文22年(1553年)頃、今川義元は天下統一を志して尾張へと侵入し、刈谷・緒川地域に勢力をもつ織田方の水野氏に備えて、知多半島北東部の村木(現東浦町森岡)に砦を築いた。しかし、水野信元は天文23年1月24日、織田信長の支援を受けてこの砦を奪取したという。村木砦は現在取手と呼ばれる小字の北半分を占め、東西240m、南北約150mの馬蹄形をした地域で、八剱社を含んでいる。取手を荒子の境界となっている旧道は、当時の空堀の跡だという。

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5臨江寺跡(りんこうじあと)

昔、村木村と対岸の熊村間の渡し舟をこの寺が司っていたという。明治5年、臨江庵を仮校舎として皇風学校が設けられた。寺の跡地は臨江寺遊園となり、昭和57年に村木地蔵堂がここへ移転した。

6村木大地蔵(むらきおおじぞう)

昔一ツ池で村人が発見し、この地に安置したと伝える。像丈76cm一木造。堂は庄屋支配で、ここは村の中央広場となっていた。大地蔵の命日には馬市がでるほどにぎわいをみせた。

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7子安地蔵(こやすじぞう)

毎年地蔵盆の近い日曜日に地蔵盆を行っている。子を持つ親の子育て安産の地蔵として崇められている。

8海印寺(かいいんじ)

文安元年(1444年)月正心公を開山として創建と伝える。本尊は如意輪観世音菩薩(丈15cm、寄木造)、曹洞宗。明治12年頃の大火で全焼したが、同35年頃再建し現在に至る。

9村木神社(むらきじんじゃ)

大正2年(1913年)現在地にあった津島社(天王社)に八藩社を合祀し、村木神社と改称した。氏子中で森岡神楽保存会を組織している。祭神は建速須佐之男神・品陀和気命。村木砦の戦いのおり、織田信長が本陣を定めた場所でもある。

10妙法寺(みょうほうじ)

還叟丹公(1554年没)の創建と伝えるが、すでに延徳3年(1491年)の乾坤院授戒会記録に妙法寺の名がみられる。曹洞宗、本尊は薬師如来。昭和34年の伊勢湾台風により墓地の土手が崩壊し、中から15~20基程の五輪塔と中世陶器が出土している(妙法寺古墓)。

11極楽寺(ごくらくじ)

曹洞宗、本尊は阿弥陀如来。新四国7番札所。玉海通公(1461年没)を開山として創建される。昭和55年、臨江寺を当寺に合併する。境内の大楠は東の土手にそびえる目通り約4.2mの大木で、樹齢300年以上経っているものと思われる、東浦町で2番目の巨木である。町指定天然記念物。

12ぶいぶい婆の墓(岡田貝塚)

森岡でいちばん古い墓のひとつ。墓碑銘に「寛文9年、圓窓羆道居士覚霊」とある。「ぶいぶい婆の墓」とのみ言い伝えられて、詳しい伝承はない。「ぶいぶい」とは、綿から糸を紡ぐときに出る音からきた言葉で、糸つむぎの婆が供養していた墓と伝えられる。

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13金鶏山古墳遺跡

古墳は直径10m高さ2mの横穴式石室を持つ円墳で、森岡字段上の旧八幡社境内にあった。中には間口1.5m 奥行3mほどの石室があり、提瓶2個、広口壺・平瓶・蓋付高坏各1個が出土した。この地方の須恵器編年では第3型式に属し6世紀頃と思われる。東浦町で発見された唯一の古墳である。

大正時代この地は森岡尋常小学校用地となり、昭和5年、校地整理の必要から古墳は取り壊され、現在の森岡保育園となっている。この時出土した提瓶5個・長頸壺・平瓶・有蓋高坏各1個は現在、郷土資料館に展示・保管されている。

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出典:東浦町教育委員会発行東浦町文化財ガイドマップ

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