モデルコース

だんつくの里・藤江地区コース 約2.0km

生路コミニュティセンター 出発

1JR武豊線・東浦駅

武豊線は明治19年3月1日に開通。東浦村では昭和8年に生路駅ができ、翌年に藤江駅が開業した。しかし、昭和19年に両駅は廃止し、その中間に東浦駅が出来た。現在の駅舎は昭和22年に建てられたもの。

2安徳寺(あんとくじ)

知多四国11番札所。

曹洞宗のお寺で、創建は永禄2年(1559年)乾室玖元和尚(かんしつきゅうげんおしょう)によって開山された。 その後、宝暦元年(1751年)乾坤院から独立した寺格となる。

ご本尊は釈迦牟尼仏(釈迦如来坐像)。他に、文殊菩薩像、普賢菩薩像、薬師如来立像(町指定文化財・伝恵心僧都作)、日光菩薩立像、立像など多数が安置されている。また境内には大師堂があり、その堂宇の前にはびんずる様が鎮座されている。自分の患部と像の同じ場所を交互に触れると御利益があるといわれている。

3常夜灯(じょうやとう)

設置されたのは寛政10年(1798年)で、場所は藤江神社南の須賀川の堤防上にある。その常夜灯の火袋の台には「金比羅大権現象頭山」と刻まれてる。

近世中期以降、知多地方では秋葉信仰に伴い常夜灯が多く設置された。特に海岸では比較的大きな常夜灯が設けられ、海を行く船に対して灯台の役目を果たしていた。また村はずれに設置され、「村中安全」の願いをこめて、悪人や疫病の侵入防止の意味もあったようだ。



4藤江神社(ふじえじんじゃ)

創建は不明だが、大永3年(1523年)に社殿を再建したという棟札がある。ご祭神は建速須佐之男神(たてはやすさのおのかみ)と大己貴命と稲田姫命。 境内末社に、白峯社、津島社、琴平社、稲荷社の四社があり、愛宕社、天満社、八幡社、山祇社、秋葉社、神明社、社宮司社の7社が合祀されている。
藤江神社では10月の第2日曜日の正午に、「だんつく」が奉納される。

(平成24年1月、県の無形民俗文化財に指定)
「だんつく」は、八ッ頭の舞とも呼ばれているが、「だんつく」の語源はわからない。この舞は笛太鼓の音曲とともに、細長い棒を持ち面をかぶった神人(素戔嗚尊)が登場して八岐大蛇を退治し、その後一対の牡獅子・牝獅子が登場し、小太鼓を打ちながら踊り、曲目の終わり頃に6頭の子獅子が現れ、牝獅子の袖の下にうずくまるので、この舞曲を八ッ頭の舞という。
古来この神事を奉納すると如何なる旱天にも雨が降ったといい、また獅子の後頭部に垂れている麻の毛は、蝮よけのまじないになるとの口伝がある。

(だんつく古面、八ッ頭舞楽龍頭の面は、町の指定文化財)

5専正寺(せんしょうじ)

真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来。

碧海郡高浜町高取の専修坊(せんじゅぼう)星川達祐1864年(元治元年没)の隠居所である。明治11年真宗太谷派の公 認説教所となり、昭和22年に昇格して専正寺となった。

6鍋屋新田堤防(なべやしんでんていぼう)

開発は文政元年(1818年)、生路村善右衛門らの三町歩の出願に始まる。
その権利を譲り受けた藤江村磯右衛門は、さらに規模を拡大して開発した。
資金難から開発は転々としたが、完成した五町七反歩あまりの新田は、文政3年(1820年)、名古屋の商人鍋屋太兵衛に渡り、鍋屋新田と名付けられた。
現在は、生栄五区、稲栄二区と地名が変更されている。

7藤江越し跡(ふじえごしあと)

昭和57年3月14日、鍋屋排水機場の隣に「藤江越し跡」の碑が建てられた。そこには、昭和31年衣浦大橋が開通する以前、此所より220メートル東に尾張と三河を結ぶ渡船場があったと刻まれている。
江戸時代から昭和25年まで、藤江と吉浜間に6、7分間の渡しがあった。船は定員28人、巾1.65メートル、長さ8.5メートルで、1日の乗降客は70~80人だったようだ。この渡しは三河~藤江~阿久比~大野港~伊勢湾を渡る東西を結ぶ街道の役目をしていた。
対岸の芳川町では毎年10月の第4日曜日に「芳川町渡し場まつり」が開催され、嫁入り船も再現されている。

8藤江塩田跡(ふじええんでんあと)

藤江に塩田があった場所は、大曲輪(おおくるわ)とヤンチャ地区。

東浦歴史散歩」によると、1671年には藤江に塩田はなかった。しかし、1750年頃には1町2反あり、1800年頃には3町8反9畝と広がり、明治20年頃(1887年頃)には4町8反5畝と東浦町では最大の規模になった。明治34年(1901年)、水田に転換された。
塩田は江戸時代になると、入浜式の塩田が作られ、生産額も格段に上昇した。塩田は海水を導入するため、海に最も近い海抜0メートル地帯に設けられた。従ってこの条件を失った塩田は、次々に稲作の水田に変換されていった。

【塩竃石】

生地・藤江などの塩を焼く海岸には「塩竃石」という石があった。これは、かまどの底に敷いておき、その上で火をたいて塩を焼いたときに使われた物で、長い間に塩がくっつき、それが病気を治すのに大変効果があった。腹痛、腰痛などに効く。「温石」。

ちょっと寄り道


白雪稲荷参道

白雪稲荷・奥の院

白雪稲荷(はくせついなり)

場所:安徳寺から徒歩で約10分の南部コミュニティセンター隣りの高台

由来は、天明6年(1786年)名古屋市万松寺に勧請されたが、何者かに盗まれてしまった。その後、半田の久野安太郎方に質入れ保管されていた。しかし、久野家に不幸が続いたので占い師に尋ねたところ、尊い物を預かっており、そのたたりに違いないと言われ、武豊六貫山の玉鉾神社の神官榊原氏を頼み、合祀された。その後、大正12年(1923年)榊原氏が職を去るにあたり、この白雪稲荷を藤江の御嶽教先達小田清陸(おだせいろく)氏に託された。そして大正14年(1925年)、現在地に遷座された。

・世話は、「日之出清岳講」によってされてる。
・境内隣地に、大峯山及び御嶽教関係の記念碑が多数ある。
・万松寺…十一面観音が本尊。身代わり不動明王と白雪稲荷をお祀りしている。

・白雪枳尼真天(はくせつだきにしんてん)…商売繁盛・家内安全を祈願する神。稲荷神。


藤江須賀川に架かる大川橋梁

大川橋梁

昭和34年9月26日(土)東海地方に多大な被害を残した伊勢湾台風。東浦町では海岸堤防の決壊で貯木場の材木が流れ込み被害を大きくした。25人(生路10人、緒川8人、藤江5人、石浜1人、森岡1人)もの方が亡くなり、重傷の方も56人いた。家屋の全壊320戸、流失79戸、半壊957戸、床上浸水184戸、床下浸水482戸という大災害で、もちろん水田も8割以上が被害を受けた。この6年前の13号台風後に施された災害防止工事も、伊勢湾台風の前には無力だったといえる。

「元校長先生」と親しまれた小田文平氏

東浦町立藤江小学校に「小田文平」氏の胸像がある。氏は大正~昭和の初めにかけて約20年間藤江小学校校長として勤められた。その功績を讃え、教え子達の寄付によって建立された。製作はご子息の小田寛一氏があたられ、碑文は久松潜一、新美藤司両氏が筆を執られ、昭和29年に完成した。

藤江の二人の国文学者

久松潜一(ひさまつせんいち)

明治27年(1894年)藤江須賀生まれ
大正10年東京帝国大学大学院卒業
大正13年(1924年)東京帝国大学教授
昭和9年文学博士
昭和21年から6年間東宮殿下に国語教授
昭和41年文化功労賞受賞。「万葉研究史」など著書多数。佐佐木信綱長女と結婚(1922年)
東浦中学校・藤江小学校・東浦高校歌作詞
昭和51年没 81歳
安徳寺にお墓がある

久米常民(くめつねたみ)

大正2年(1913年)藤江生まれ
昭和12年(1937年)東京帝国大学卒業
昭和17年長男清之氏誕生
昭和41年(1966年)愛知県立大学教授
昭和45年文学博士。「万葉集の文学論的研究」など著書多数
昭和49年東浦町総合計画審議会委員長
昭和50年「町の花と木」選定委員会委員長
片葩小学校・北部中学校歌作詞
昭和52年没63歳

新美南吉と同級生

【参考文献等】
東浦町誌、東浦町誌資料編、東浦地名考、東浦歴史散歩、東浦の仏像、知多半島なんでも事典、戦国期の知多、知多四国八十八カ所めぐり、武豊線物語、ウイキペディア

【制作協力】
東浦ふるさとガイド協会

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