新品種の八重桜「はるか」を植樹

 4日午前於大のみち「門前広場」にて八重桜の植樹式を行いました。これは東北大震災の甚大な被害を風化させず、次世代に伝えていくための桜プロジェクト全国7回目の取り組みとして行われました。

植樹に先立ち被災者として語り部活動を行っている、安部(あんべ)あきこさんのお話しを植樹に参加してくれた子供たちと一緒に聞き、その後門前広場に移動しました。関係者の挨拶のあと、代表者による植樹と子供たちによる植樹を行いました。桜は門前広場に5本、再会広場に5本植えました。この苗木10本はさくらプロジェクトに参加するNTTファイナンスさんより寄贈されました。この結果、於大のみちの八重桜は630本+10本、品種も約20品種+1品種になりました。観光協会はますます八重桜の情報発信に努めます。

★当日の様子がケーブルテレビで放映されました★
https://www.medias-ch.com/movie/116841/
メディアスチャンネルHP「八重桜『はるか』植樹式典」2023.3.6

3年ぶりに文化財防火訓練

 1月22日郷土資料館に於いて、文化財防火訓練が行われました。この訓練は、界最古の木造建造物である法隆寺の金堂が炎上し壁画が焼損しました。このことを受けて昭和30年に1月26日を文化財防火デーと定めたことによるものです。文化財を守ると共に全国的に文化財防火運動を展開し、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。

 訓練は消火器の取り扱い・消火栓の取り扱い、そして実際に放水を体験しました。訓練後には質疑も行うなどして、実際に火災に立ち向かう時にはまず消防に通報する。火の勢いが人の背丈以上の場合は逃げる…...これらのことを再確認しました。最後に神谷町長はいざという時には、思うように行動できないものです、そのためにも訓練が大切ですと締めくくりました。

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天下統一を支えた於大の方と巡る知多半島(後半)

 9日、10日に引き続き再放送がされていますが、その後半では「村木砦の戦い」が登場しています。進行役の西まさるさんが、戦国史上に残る戦と言われるのは「初めて実戦で鉄砲が使われた」ことを説明しています。その人物こそが織田信長で、この戦いに織田・水野軍が勝利したことで、水野家は滅びることなく知多半島を制覇するまでになりました。

 結果、於大の方が松平に嫁ぎ家康の誕生に至ったわけですから、「どうする家康」はここ「村木砦」の戦いからスタートしてしかるべきと考えます。その意味からも「村木砦の戦い」をもっともっと東浦から情報発信していかなくてはなりません。

 手作り鎧の会の皆さんの協力ぶりを、テレビ画面から撮った村木砦の放送場面を掲載しました。

主役の皆さん

 

観光協会今津会長が「構えて、撃てー」
手作り鎧の会長長屋さんが、いい男と話しかけたのか.?…..
原田酒造さんのお酒で勝利の乾杯
前の大河ドラマで「於大」を演じた松本若菜さんと…

水野家四代の墓を清掃

 東浦町観光協会は正月前、於大まつり前、お盆前に四代の墓掃除を行ってきました。しかし、今年は夏の暑さが特に厳しく、コロナのこともあってできずにいました。暑さも少し和らいできましたので10月21日になって、やっと掃除をすることが出来ました。観光協会役員10名、会員のふるさとガイドのみなさん10名の20名が参加しました。それでも、いろいろ都合もあり途中で帰らざるを得ない方も———。でも、これならお参りや見学に来られても何とか大丈夫かな。

 来年は大河ドラマ「どうする家康」が始まります。家康の母「於大の方」の出生地東浦としても、この機に於大の方・水野氏に関する情報発信に心がけたいと考えます。来年1月にはケーブルテレビCACが全国32局で「天下統一を支えた母 於大の方と巡る知多半島」を放映します。知多半島あげて於大の方と家康をアピールしていきます。

十五夜コンサートin善導寺

 今年も善導寺のお月見コンサートが、9月10日に開催されました。石段と土塀を見ながら、柔らかな竹灯篭の灯りにいざなわれて本堂前に到着。お月さんも雲の合間から眺められ言うことなし。

こんな様子を竹灯籠の会の方から写真を寄せていただきましたので、ここに紹介させていただきます。プログラムを見ると、今年は善導寺さんの御詠歌のみなさんも出演されるなど工夫がされていました。

生路の「荒子地蔵盆」

 8月21日(日)生路の荒子地蔵盆が執り行われました。地蔵盆は京都が発祥地と言われ、関東ではあまりなくて関西で多く行われております。地域や子供を守る仏さまとして地域に根付いてきました。しかし、地域の活動はコミニュティーが中心となった現在で、世話役を決めて自主的な活動をすることがだんだん難しくなっています。

 そんな中でも荒子地蔵盆は長い歴史をもち、脈々と続いています。近所の人たちといえども、よく知らないという人たちが集まり、地蔵盆を守り続けています。大踏切の隣にあるお地蔵様ですが、付近は昔の機屋さん跡に新しい家が多く、子供さんもそれなりの人数がいます。でも、子供を守るお地蔵様にお参りすることが少なくなりました。読経の後の御住職の挨拶に、大人も子供もお地蔵様にお参りをして健やかな日々をお過ごしください….と結ばれました。

 またこの日は石浜の畑中地蔵においても、地蔵盆が執り行われました。近くのお年寄り、子供たちがお参りしました。最後の写真がそうです。

 

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