町の魅力を再発見しよう!! 

 22日町の魅力を再発見しようは、どうする家康に沸いている時なので緒川地区を巡りました。参加者は16名でそんなに多くはなかったのですが、刈谷市、高浜市、知多市、大府市の方6名が参加してくれました。徳川の天下を支えた於大の方、水野氏を巡って、緒川城址、善導寺や越境寺、三代の墓を案内しました。緒川城址の近くには貞守の館やお富が住んだと言う青木屋敷があったことから、於大の方は緒川城ではなく青木屋敷で生まれたのではないか、また、善導寺は於大の方が善導大師像を寄進したことから善導寺と呼ばれるようになった。他には越境寺には緒川城と刈谷城の家老家の墓が並んでいることなどお話ししました。

 今回の案内で於大の方・水野氏のことが、より知られることを期待したいです。

 

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#2知多バスかもめツアー緒川城址へ

 於大の方の生誕地を巡る2回目のツアーが2月4日にありました。今回は18名の参加で岐阜県からの方もいました。先回と同じコースをふるさとガイドのみなさんが案内しました。話を聞くだけよりも目の前にある物を見ながらの方が、よりインバクトが強いことを痛感しました。A3サイズの資料を使い説明をしましたが、於大の生まれた緒川城址・善導寺よりも、現物のあるキリシタン灯篭や大樹寺旧裏一の門などの関心が高かったように思います。今後はより視覚に訴える情報発信を、心がけることをが大切なことと感じました。

役場前にて
緒川城址にて
越境時 キリシタン灯篭にて
大樹寺旧裏一の門前にて
緒川城主3代の墓にて

『おもだか紋瓦展示・家康と水野氏』

 郷土資料館では1月7日~3月26日まで、ミニ企画展「家康と水野氏」おもだか紋瓦で探る衣浦湾周辺の寺社が開催されています。28日には展示説明会が行われ20名が参加しました。

講師の高橋さんが作成された素晴らしいイラストのパワーポイントで、於大と家康の物語を聴講。話のおりおりに「どうする家康」に触れて、あのような時代考証はおかしい。東浦としては残念……私もまったく同感で、娯楽ドラマとはいえ史実とかけ離れた描写も数々散見されており、東浦からの情報発信をきっちりやらなければと思いました。

 肝心のおもだか紋については、乾坤院、善導寺、傳宗院、楞厳寺、延命寺などの瓦にどの紋が使われているか説明がありました。ほかには入海神社、緒川小学校の校章にも見られます。

展示は3月末までなので、一度立ち寄られることをお勧めします。

「天下を支えた於大の方」いよいよ映像化

見出しの件について、16日の中日新聞知多版に取り上げられました。半田市ケーブルテレビ局「CAC」が徳川家康の生母於大の方ゆかりの地を巡るドキュメンタリー番組を制作します。番組名は「天下統一を支えた母 於大の方と巡る知多半島」です。作品は2時間に及ぶ長編で、来年1月中の放送を予定。出演者はHK大河ドラマ「麒麟が来る」で於大の方を演じた松本若菜さん、CACでレギュラー番組を持つ中村優一さんと、半田市郷土史家西まさるさん。現時点ではCACの他、全国のケーブルテレビ局32局での放送が決まっているそうです。

 東浦町観光協会は14日の撮影に協力し、緒川城址では東浦ふるさとガイドがお城の歴史を説明。村木砦跡では手作り鎧の会みなさんが甲冑姿で火縄銃や槍をもって撮影に協力しました。(この時の撮影の写真は使用不可のため掲載できません)

観光協会はホームページに、於大と水野氏の功績を取り上げています。間違いなく徳川幕府を支えたこと、そして平和な世を実現することにつながりました。このことを広く知ってもらう機会にしなくてはいけないと考えています。

村木神社のオマント

 18日は伊久智神社、25日に村木神社のオマントが行われました。久しぶりに村木神社のオマントを見ることが出来ました。村木神社のオマントは町の無形民俗文化財で馬具などは有形民俗文化財に指定されています。境内は子供連れの家族の皆さんたちであふれ、本殿隣には子供たちの作品展示もあり20頭ほどの馬たちが祭り気分を盛り上げていました。家族で楽しめるお祭りの工夫がされていたと感じました。

少し曇り空で暑さも和らぎ、馬が走っても前日の雨で土埃も少なく、絶好の祭り日和になったという声が聞かれました。このお祭りを機にコロナが落ち着いてくれることを祈りたいものです。

74名が参加して虫供養を開催

 9月23日(金)秋分の日、400年の歴史を持つ東浦五ケ村虫供養が石浜コミセンで開催されました。台風15号接近により大雨が予想される中でしたが、無事に開催されました。

参加者は地元の方・子供、来賓、地区役員、虫供養実行委員の方など74名が参加しました。特に今回は多くの子供たちに参加してもらい、数珠回しを計画しました。実行委員会は200人の参拝を目指したそうですが、台風の影響もありそれはかないませんでした。しかし、一般と子供たち30人による数珠回しが出来たことは、伝統の行事を知ってもらうこと、その伝統を受け継いでもらうことにつながったものと思います。

 農作業で殺した虫たちとて生き物であり、供養して冥福を祈ると共に、作物の豊作を祈ります。自然と共に生きる人々の暮らしに生まれた行事を、受け継ぎ守りたいものです。これまで五つの村が競い合って虫供養の行事を盛り上げてきました。このことが400年続き明治の大合併の時、東浦村の誕生にもつながったと考えることが出来ます。

生路の「荒子地蔵盆」

 8月21日(日)生路の荒子地蔵盆が執り行われました。地蔵盆は京都が発祥地と言われ、関東ではあまりなくて関西で多く行われております。地域や子供を守る仏さまとして地域に根付いてきました。しかし、地域の活動はコミニュティーが中心となった現在で、世話役を決めて自主的な活動をすることがだんだん難しくなっています。

 そんな中でも荒子地蔵盆は長い歴史をもち、脈々と続いています。近所の人たちといえども、よく知らないという人たちが集まり、地蔵盆を守り続けています。大踏切の隣にあるお地蔵様ですが、付近は昔の機屋さん跡に新しい家が多く、子供さんもそれなりの人数がいます。でも、子供を守るお地蔵様にお参りすることが少なくなりました。読経の後の御住職の挨拶に、大人も子供もお地蔵様にお参りをして健やかな日々をお過ごしください….と結ばれました。

 またこの日は石浜の畑中地蔵においても、地蔵盆が執り行われました。近くのお年寄り、子供たちがお参りしました。最後の写真がそうです。

 

挿絵で綴る「於大の方」の物語

6月11日~9月11日まで郷土資料館において見出しのミニ企画展が開催されています。

 写真で説明できないところを挿絵で分かり易く、「戦国絵巻」と題して於大の方が生まれた時から1554年の村木砦の戦い、6年後の桶狭間の戦いさらには15年後の長篠の戦いまで。戦国の様子を挿絵と残されている品々と写真により、目で見えるように工夫しています。鉄砲、鎧、長篠の戦いの屏風絵なども展示されています。一度足を運んでみてください。

 尚、7月2日(土)には展示の説明会と、手作り鎧の着付け体験ができます(要予約)

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第2回町の魅力発見ツアー村木砦

 5月21日(土)小雨模様の中、第2回町の魅力発見ツアー村木砦を開催しました。当初は18名の申し込みがありましたが、小雨だったこともあり13名の参加となりました。その中でも町外の安城市、大府市、知多市、東海市から6名の方が参加してくれました。村木砦の戦い跡を巡るコースであったことで関心を持っていただけたものと思われます。

 織田信長が織田家をまとめて尾張を支配し、天下布武は桶狭間でも長篠でもなく、ここ村木砦の戦いこそがそのスタートであったと言えます。それだけに、今後も織田信長が実戦で初めて鉄砲を使った、村木砦の戦いに関する情報発信を続けていくことこそ大切なことです。

 この戦であまり知られていない、今川に協力させられた村人が信長の命により処刑された場所( 個人のお宅)、信長の本陣が置かれた村木神社、信長の叔父さん信光が陣を置いた後ろ狭間を巡りました。

処刑された村人を弔う処刑場跡
常夜灯跡でここが村はずれであったこと、秋葉さんをお祀りしていることを説明。

天白遺跡ひろばを見学しました

 ふるさとガイド5月研修会は、町のホームページに紹介された「天白遺跡ひろば」について学びました。1時間ほどスライドを使って、郷土資料館の方から説明を受けてから現地へ向かいました。町のホームページで写真は見ていたので、それとすぐに分かりました。

遺跡はそのままそっくり埋め戻されて、調べた時の状態を保存しています。1mほど埋めた側面には発掘した時の断面が描かれています。また、埋めた上面には年代ごとに色分けして住居の範囲や柱跡などが分かるようになっています。もちろん遺跡の説明板も設置されておりますが、説明を聞きますと知多半島で最も大きな弥生・古墳時代の集落跡だと言います。国指定史跡の入海貝塚と一緒に天白遺跡ひろばを訪れてみてください。車は緒川コミセンに駐車するとよいです。

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